タイムマシーン No.1

こんにちは。

夢を持って活動する子ども達との懸け橋となりたい

Respect each other ひとりひとりの存在を大切に育む

バスケで人と人を繋ぐ ドリビーのMidoriです。

タイムマシーン No.1

このページは、私が夫と共に歩いた足あとを記憶のタイムマシーンにのってひとりの女性として、妻として、母として、様々な経験と思いを交えて綴ります。夫がプロ監督になるまでのエピソードやその後の家族生活もいつか私がおばあちゃんになった時にのんびり読み返してみたいなとふんわりした気持ちで記します。もしも、ご興味があればお立ち寄りください。

2011年3月11日 大震災の日

私は、仙台市太白区富沢南に夫と犬2匹と共に暮らしていました。あの日は、夫が仙台89ERSの新潟遠征で出発日。朝から、慌ただしく「行ってきまーす!」と出かける夫。時々、空港まで車で一緒に犬を連れて見送りに行き、海でお散歩するのが楽しみでしたがこの日はバス移動だったから自宅でお見送り。

私は、家事を済ませて犬のお散歩をしてパートの歯科医院へと車で出かけた。お天気は、晴れだったと思います。そして、間も無く地響きとともにガタガタと揺れ出す医院。受付のカルテは棚から散乱し外の通りでは慌てふためく人たちの声やサイレンの音が鳴り響きました。思わず携帯テレビでニュースをつけると、黒い海が大きな波となって町に押し寄せてくる映像でした。そう、外の天気も瞬く間に荒れはじめて強風、みぞれ、黒い雲が立ち込めてこの世の終わりかと私は恐怖を感じた。私が勤めていた医院は、塩竈市へ繋がる幹線道路の前で左に進めば海方面、右に進めば仙台駅方面でした。

私は、医院の方々に挨拶をすると慌てて車に乗り信号が停止し町が大混乱した中をサバイバル状態で自宅に向かった。ウチには、子どものように可愛がっていたトイプードルのヒメとオウジが待っていたのです。いつもなら20分ほどで着く道のりが2時間程かかり、やっとマンションに辿り着き、ドアを開けたら玄関に2匹はうずくまっていた。「怖かったね」と泣きながら両腕で抱っこしたのを覚えています。

電気も水も止まりました。あの日は、本当に寒かった。車に毛布を持ち込んでいつでも逃げれるように犬も一緒でした。もちろん、携帯も使えず夫の安否もわかりませんでした。日が暮れて、車のテレビを見ながら大地震だと知りました。震え上がるほど怖かった。何度も余震で地響きがするたびに心臓がドキドキした。

そんな時でした、ご近所に住んでいた選手の奥さん(イクちゃん)が一緒にいていいですか?と来てくれました。私たちは、そこで光ひとつない町の悲しみや不安を感じながら、夜空に光るたくさんの星と月明かりに照らされて無事で何より「会えて良かった〜本当に良かった」と涙流して抱き合いました。一晩、車中で過ごした夜は無力な自分と自然の怖さを思い知らされた1日でした。

それでも朝はくる。太陽が顔を出し、町の人の顔も見えた。光があるって幸せなことなんだと実感して1日が始まった。

部屋の掃除をしてから、仙台市体育館横の公衆電話まで歩いて、10円玉を沢山用意して長い列に並んだ。夫と母に電話をかけたら、やっと声が聞けた。彼らチームは、新潟行きのバスを高速道路で引き返して今夜遅くに仙台に戻れることになった。

「お願いだから無事に帰ってきてと言葉にしたら涙が止まらなかった」受話器を握っていた手が震えた。後ろの列に並んでいた人が泣いている私を見て、残念な顔をしたけれど、私の涙は嬉し涙でした。夫が生きていて良かったと。チームが無事で良かったと。大切な人は、いつも当たり前にいるように思っていたけど、実は毎日が奇跡だったんだと気付かされた。「行ってらっしゃい」はちゃんと顔を見て伝えたいなと改めてまた気づく。すべてに感謝と祈りを込めて。

まだまだ、たくさんの思い出がありますがそれはまた、次のタイムマシーンで。。。

あの日、旅立たれた多くの方々の命に心から祈りを捧げます。